祝50,000アクセスの話

f:id:bettychang:20201207152440p:plain

 

今年の7月頃に独自ドメインに移行してから、ようやく5万いったようです。

これはめでたい。

 

こういうことはあまりいいたくないですが、皆さまのおかげです。

特にはてなブロガーの皆さん、いつもありがとう。

 

ドメイン移行といっても実際は新ブログで作り直しているわけですが、いろいろと見直せたので結果的にはそれでよかったかもな。

 

ドメインの育成は楽しい。

ある意味、ゲームですね。

極めて難易度が高い。ゆえにおもしろいか、つらいか。

それはわからんけど。

 

 

このブログは訳詞ブログですが、そもそも英語の曲を訳すことの意味はなんでしょうね。

Spotifyで海外で聞かれている日本の曲はほぼアニソンだという増田を最近目にした。

海外の人が日本の音楽に接する機会があるとすればそれはアニメだという話みたいですが、まあそれは当然ですよね。

逆にいえば接点がなければ別の言語圏の歌を聞くというのは、普通ない。

それほど特殊なことですよ。

歌に国境はないなんてことは全然ない。

基本的には使用されている言語圏でわかれる。

なぜか。

それは歌ものという音楽ジャンルを構成する要素であるメロディー、グルーヴ、歌詞という3要素のうちで最もフロントに立つものが歌詞だから。

3つのうちで唯一物語性を有する、なんらかの意味を持つものだからこそ歌詞がフロントに立つわけですね。

例えば私は自分でも曲を作りますが、日本語の歌を作るのは日本語を解し現代に生きる誰かのためです。それか自分自身のためです。

歌っていうのはそういうものですよ。たぶん。

 

例えば歌詞がわからないから洋楽の方がいいという人もいる。

全然間違った楽しみ方じゃないと思う。

それは音楽というものがそもそも多面的だからでは。

メロディーライン、楽器、ボーカルの歌い方、曲のグルーヴ。

仮に歌詞の意味がわからなくてもね、そのどれかだったりそれら組み合わせで楽しめるというわけですよ。

意味を知らずにブルースを歌うな、なんていう人もいるけれど私は全く同意しないですね。

意味なんか知らなくても十分楽しめるよ、音楽は。

そんな懐の狭いものじゃない。

一方でじゃあ意味を介さずに私たちが耳にする英語曲。

これは実は非常に特殊なものだとも思う。

本来その言語圏の人々の感じる「歌詞の意味を伴って耳に入ってくる状態」とは異なるものだという認識はたぶん必要だと思う。

英語の曲を聞くとなにをいっているのかわからないので日本語曲と違い一定の距離感が生まれるわけだが、それはもちろん作者が意図した状態ではない。

私たち自身のその言語との距離の遠さが歌に反映して、偶然そのように作用しているというわけだ。

だからといってそういう楽しみ方が間違っているわけもない。

楽しみ方は自由だ。

 

歌詞を読むことの良さとはなにか。

考えるとひとつには時代も国も違う人々の作った歌詞であってもそこに人間共通の何かを見出せることだと思う。

人間の感情には普遍的なものがあると感じる。

言語が違う以上いくらどう訳しても同じものではありえないわけで、しかし翻訳という二次創作を介してしか理解できないとしてもそこにはなにか普遍的なものを感じることが多々ある。ブルース的な共感や表現的言葉の繋がりのおもしろさや詩性。

人の感情の表出が言葉という表現を伴って現れたものが歌の歌詞だと考えれば、生きる時代や国や境遇や言語や音楽のスタイルすら違ってもその源は同じものなのでは。

だからこそ私たちは100年前の黒人音楽の中にさえ自分を見出すことがある。

それは音楽に限った話でもないが、言葉がメロディーに乗った状態というのは特有のエネルギー、人を惹きつけるパワーがあると思う。

そして別の言語圏の歌への理解は突き詰めれば、見知らぬ他者も私自身と本質的に違いはないのだという理解の助けになるだろう。

 

このブログはもともとボブ・ディランの歌詞をネットに載せるために自分なりに訳し直すことを目的に2018年末から始めたものです。

英語の歌詞を読むのはもともと趣味ですが、昨今のCDの消滅とサブスクという音楽視聴スタイルの変化に伴いシステム的に見捨てられた外国語曲の訳という機能的なものでありつつ二次創作でもあるような何かを自分のできる範囲で救うための試みですが、これは音楽への個人的な恩返しでもある。

音楽というものは絶えず繋がっているので、ある日突然新しい音楽が生まれるわけじゃないわけで、ジミ・ヘンドリックスはバディー・ガイやハウリンウルフと繋がっているし、ローリング・ストーンズはマディー・ウォーターズと繋がっているし、忌野清志郎はビートルズやオーティス・レディングと繋がっている。尾崎豊はブルース・スプリングスティーンと繋がっているだろうし、ミスター・チルドレンはエルヴィス・コステロと繋がっているだろう。そして日本のミュージシャンから影響を受けた人がまた何かを作るわけだが、そう考えるとどんな新しい包装を施された日本の新しいロックバンドもアーティストもロバート・ジョンソンと繋がっている。ロバートジョンソンはさらに昔の録音を残していない無数のブルースマンとも繋がっている。

言語的に孤立した日本であっても辿っていけばルーツはちゃんとあるんですよね。

じゃあ日本が第二次大戦の敗戦の流れから経済成長して行く過程でアメリカナイズされた結果、今の文化がありその産物として日本語ロックもあるのかというと、そういう側面ももちろんある気がするが、例えばブラジルなんかはボサノバやサンバ的なものが60年代にビートルズなどの影響でロックと融合してMPBというジャンルが生まれたらしい。カエターノ・ヴェローゾさんとかですね。

こういうの考えると日本語のロックというのも世界的なポピュラー音楽の進化の流れに沿って生まれるべくして生まれたものだと考えた方が自然かなという気がしてくる。

日本語固有のべったりとした発音にのったロックというのはやはり英語的なロックとは似て非なる独自なものだと思う。つまりある歌のジャンルが別の言語圏と繋がると、どれだけ様式を真似てもその言語固有の性質があるので、似て非なる別の土着的な何かが生まれるってことですよね、これは。おもしろいと思う。

 

いや、なんの話だっけ。

歌...

歌というものは基本的には自分の解する言語で作られて聞かれるものなので、あえて別の言語圏のものを聞く必要はないわけだけれど、日本語のポピュラーミュージックのルーツは英語のロックやブルースなどにあるわけだし、そう考えると別の言語であってもちょっと聞いてみてもいいんじゃないのかな。

このサイトが少しでもそんな誰かの好奇心の助けになれば幸いです。

しかし、わざわざ英語の昔の曲だったりの歌詞を知ってどうするの。

それは...好奇心に意味はない。

 

もしもこれら訳の言葉を媒介にして何かしら心を動かされた誰かが自分なりの日本語の曲を作るきっかけになったりすれば、これに勝る喜びはないですね。

 

そんなわけで、引き続きやっていきますのでどうぞよろしくお願いします。