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フェミニストの話が食い違う理由

分かるだろ?と、しきたりを守らせようとする。それって女性が何百年も苦しめられてきたものじゃないのか。フェミがそれを新たに作るのか

2020/10/30 01:05

b.hatena.ne.jp

 

この手の話、最近は別にいいんじゃないのと思うようになった。

インターネットというのはほぼみんなのお気持ち表明ツールだから、不快でしたっていうのも全然いいと思う。お好みであれこれ理屈をつけてもいい。

ただこれはよくいわれる話だが、嫌いなものを表明するのは今すごく不利だし悪手なんだよね。つまり嫌いだといわれた人やそれを好きな集団もネットに存在していて彼らも発言できるから、たえず敵を作ってしまう。

他者を刺激するから話題にはなるんだけど、長い目でみると失速していく。

これは単なるネタ的消費では。

ヘイターや社会のヒール役としてただ消費されるだけであれば、その活動に意味はあるのか。

もしかしてごく一部は個人として名をあげることはできるかもしれない。そういう目的であればそれは主義でも思想でもなんでもない。ただの売名。

嫌いなものをあげるというのは実際かなり楽だと思う。

例えばなにか主義や思想や基づいて他者の心を動かすためのなにか表現をするというのはとてもめんどくさいし難しい。そちらは苦難の道だ。

だれにもできることじゃないし、表現に必要な技術や時間も意思も要する。

だけど目につくものにケチをつけるというのは簡単ですね。

自分はなにも作らなくていい。

評論家と少し似ているか。

自分ではできないことだがそれを語ることで自分が上位にすら立っているような気分にもなれるが、実際にはそんなことはない。

個人としてはスタートにすら立っていない。

もちろん映画やアニメなんかはそもそも誰もが作れるものでもないし。

別に誰もが好きだから作りたいわけでもないか。

しかし誰しも消費者としての自分と、作る自分(もしくは何も作らない、作り手にまわりはしないという決定をした自分)が必ずある。

だから本来評論というのは非常にバランス感覚の難しいアプローチなんじゃないのかな。批判する際にもあまりにも偉そうだと、なんも作れないお前がなぜそんなに偉そうなのか???となる。しかし批判的視点のない評論というのは全くつまらない。

例えば私があるミュージシャンの評論を書くとしても、なにか説得力があるのか。

そうはいっても、そもそもあなた全然人気ないですよね、といわれるとなにもいえなくなってしまうかもしれない。しかし、制約のある評論なんて読む価値はないのも事実。

そもそもがそういうジレンマを抱えているな。

つまり感想という別視点に立つからといって自分自身の無力さから解放されるわけではないことを知っているからだが、個にとらわれた感想というのもなんともつまらないものだろう。

評論の意義についていえば、ある作品の背景にあるものを社会的な視点で解読し二次的な問題提起、そんな特殊能力を必要とする現実側からのアプローチか、そうでなければ単純にその表現に関する技術的な解説だと思う。もちろん広告記事というのはあるけど、そういうのは評論じゃない。すきすき、嫌い嫌いいうのはもちろん自由だし、それに価値がないわけでもない。

 

なんか関係ない話になっちゃったな。

なにが好きかで物事を語れよ、というのはなんにせよ新しくも王道なルールになっているなという話かな。それは全員参加型の場であれば、やっぱりそうなるのは当然の話な気はする。

 



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