大統領の死を願うとアカウント停止する話題



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「Twitterはトランプの死を望む投稿をしたユーザーのアカウントを停止する」 

 

トランプ氏の死望む投稿 警告 - Yahoo!ニュース

じゃあなんで日本はヘイトスピーチが削除されないのか。ツイッター社には不信感しかない。

2020/10/03 19:18

b.hatena.ne.jp

 

トランプ氏の死望む投稿 警告 - Yahoo!ニュース

そう言えば私、2週間以上前に「そろそろ死ね」というブコメをはてな社に通報したんですが、本日時点でもだれでも閲覧可能な状態のままですね

2020/10/03 17:09

b.hatena.ne.jp

 

へえ。

 

news.yahoo.co.jp

 

最近ネットを見てて感じることがあって、なんか学校みたいだな。

そんな感覚。建前としてのモラルがだいぶ周知されてきた感じある。

別にそれはいいんだけど。

ネットでも現実でも治安はいいほうがいい。

たとえ意見が合わなくても水知らぬの人に死ねと言ってしまう人の甘えん坊加減といったらもう。私は心が弱い甘えん坊ですと公にいっているようなものなので相当恥ずかしいとは思うが。匿名でもね。

誹謗中傷というか他人に強い感情をぶつける行為とはつまりストレスを他者に譲渡して私が負の感情から楽になりたいんですってことなので、精神的ベビーでしょうね。本当に子供なら許すけどネットではそんなのわからない。

しかし、これは個人間の話。

公人。

例えばある政治家の死を願うのはそれほどにタブーなのか。

そりゃそうだと皆がいうかもしれない。彼らも同じ人間だ。

みんなみんな生きているんだ。お友達にはなれない。

いやむしろあなたや私よりはるかに上級の価値ある人間ですね。

上級でも下級でも一人の人として、死ねや死を願うことは許されません。

いいですね(はあ)。躾。

まあ別に私はそんなこといいませんけど。たぶん。

なんか学校みたいだ。

心から君の死を願う!!

それはダメよ。メッです。

別に死ねがだめだとして、じゃああなたのご健康をお祈りはできません、とか、あなたに明日も生きてほしいとは願えません、とか。これはただの言い換えですね。どうでもいいか。言葉は変化する。

そもそもアメリカ大統領どうでもいいし、日本の政治家さえどうでもいい。

私が本当に興味があるのは音楽だけです。

でも例えば、政治は間接的に人を死に追いやることもある。

それはでも結果であって死を望んだわけではないから問題にはならない。

でも「他者の死をただ望むこと」は「現実の死」よりもはるかに許されざる行為なのかな。それってなんか胡散臭くないか。よくわからないな。

しかし、ツイッターで大統領死ねと呟いても現実の生死に影響するわけもないし政治的な具体性もないし野蛮で無意味すぎる。そんなことよりも政策の問題点を地道に指摘する方がはるかに有益なツイートだとは思う。

ただ、思うに人間の怒り。

なにか不条理な現実への怒りというのは確実にありますよね。

それは個人の生い立ちや能力あるいは運命、もしくは社会の仕組みなどが複雑に混ざり合ってもたらされるもので、そして社会システムの方向性には当然政治が密接に関わっている。

しかし、なにかそういう不合理への怒りのようなものがネット上で団結するのを防ぎたいような、コントロールとして誹謗中傷というキーワードが利用されてきているような感じがしている。

じゃあなにか物事を真剣に変える力があるとしたら、そのエネルギーはどこからくるのか。

お利口な議論も大事だけど、なにかこう現実に根ざしたより具体的なパワー。それはやっぱり怒りじゃないのかな。

そういう「野蛮な感情をいけないものですよ」として、日々着実に飼いならされてきているような感じはある。若い人ほどそうだという話を何かで読んだがそれが事実かどうかわからないとして、個人としては妥当だと思う。集団における生き残り戦略というものは命に関わるわけだし、それはよりよく生きようとする意思から来ているのでまっとうな話。生きる意味や社会のあり方や、そういったものを真剣に考えることは危険だ。

それは集団への適応とより豊かな人生を阻む可能性がある。

中低位の次元においてはより考えない人ほど成功する可能性が高い。学校の試験でより高順位を目指すために努力することは社会からの評価に繋がる可能性が高いために今も昔も有効な生き残り戦略だが、立ち止まって高みを目指すことの意味を考えることは危険だ。人生の意味を考えてはいけない。仮に同じ能力であれば疑問を持つ人間は疑問なくただ目的に突き進む人間には絶対に勝てない。そしてほとんどの場合、人生に意味はない。

ある企業で働くことは意味がない。あなたは交換可能な労働力であってどれだけ評価されても本質的にそこに意味なんてない。その企業自体なくても他社のサービスや製品で代替されるだけだからだ。その企業自体が交換可能なのにそこで評価されたり工夫しサービスがわずかに向上することにどれだけの意味があるだろう。もちろんそういう人々の努力や競争によって社会はよりよく動いている。それを否定するわけもない。

それほど的を外さなければ仕事にやりがいを見いだすことはできるし、人はそうやって生きるべきだと思う。ただどっちにせよ意味はないといっているだけだ。仮に電気が発明されていなければ。それはもちろん偉大な発明だし実際尊敬もしているが、なければそれを当然として生きるだけだ。

意味を考えてはいけないというのはそういうことだ。それは個人の幸福追求から逸脱する恐れが高い。SF映画の完全に人類の幸福と平和が保たれた世界の中で不意に好奇心から裏の仕組みを見つけてしまう主人公のように。危険分子というわけだ。だが、現実は映画ではないので、あなたというキャストは容易に死ぬ。あるいは落ちぶれる。落ちぶれたら他人のふり。昔の人はいい曲を書くよね。

そんな感じで、なにがいいたかったんだ。

まとめようもないなこれ。

そう、その国で暮らす人であれば大統領の死を願うことくらいは、場合によってはいいかもしれないなと。そういう話だったか。

サービス上どうこうは好きにしろって話にはなってしまうんだが。

結局ネットの言論というのはそういうものなんですよね。言論とか表現の自由とかいったところでサービスの上に乗っかっている以上、その利用規約や運用のさじ加減だったり、あるいは誰の方を向いているのかで、極端な話どうとでもなってしまう。このことはなんの話題であれ念頭においておくべきだとは思う。

 

 



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